『夏の森(仮)』

投稿者: | 2024年4月18日

※ゆっくり書き進めている創作小説です。

夏の真昼。蝉が騒がしく鳴いている。
色々な種類の蝉達が同時に鳴き立てているので、聴き分けができない程で、ジリジリと途切れることなく騒音に近いのかもしれない。
けれど私はこの焼けるような暑さと、力強い蝉達の奏でる音が大好きだった。


喫茶Forest(フォレスト)。
街外れの少々閑散とした一角に、赤茶色の煉瓦造りの古い喫茶店があった。
加奈子は、額から一筋垂れてきた汗を手の甲で拭って、高校生の女の子には少し重い緑色のアンティーク風の扉を開いた。

「いらっしゃい」
ドアベルが鳴ると、カウンターにいた店主であろう白髪の老紳士が、少ししわがれた声で歓迎してくれる。
程よく効いた冷房の冷たい空気が火照った肌に心地良い。
加奈子は小さく頭を下げて、店の一番奥のいつもの窓側の席に向かう。
お客さんは誰もいなかった。
席についてバッグを下ろして一息つくと、店主がグラスに入った冷水を持ってきてくれた。
「サンドイッチと、アイスカフェラテをお願いします」
「かしこまりました」
静かにお辞儀をして彼はキッチンにもなっているカウンターに下がる。
加奈子は、鞄から数冊の本と、お気に入りのノートと筆記用具を取り出し、趣のある艶々した濃色の木のテーブルの上に並べた。

八月一日。高校はすっかり夏休みに入っているはずだ。
しかし加奈子は最近学校に行っていなかった。

もともと積極的な性格ではないのもあり、自分から他人になかなか声をかけられない。小中学校では、家が近い幼馴染みの和美ちゃんという女の子がいたので、二人で過ごしていると自然と話し掛けてくれる人もちらほらいたのだが、中学卒業と同時に、和美ちゃんは引っ越してしまった。

高校に入ってから、初めは何人か話し掛けてくれる女の子もいたのだが、自分は最初のスタートを失敗してしまったらしい。
気付いた時には、自分以外の女の子のほとんどが、馴染みのグループを作ってしまっていた。
加奈子以外にも一人だけ、孤立している子がいたのだけれど、ずっと下を向いて何かをノートに書き殴っていて、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。

加奈子は、和美ちゃんの存在が、自分にとってとても大きい存在だったということを、高校に入って初めて痛感したのだった。

一応、夏休みにやるべき宿題のあれこれは、学校から連絡を貰ってはいたが、例え夏休みが明けても、加奈子は学校に行く予定はなかったので、貰っている宿題を提出する気はなかった。
けれど、せっかくの夏休みということもあり、何かできればいいなと考えたところ、本を読むのが好きだったし、この機会に何か物語を書いてみようと思ったのだった。


まだ、ノートのページはまっさらだ。
物語を書こうと決意はしたものの、一体何を書いたら良いのか分からない。
シャープペンシルを右手に構えながら、薄く平行に並んでいるノートの罫線を見つめていると、注文していたサンドイッチとアイスカフェラテを店主が持ってきてくれた。
二種類のサンドイッチは、玉子サンドと、ベーコン、レタス、トマトを挟んだいわゆるBLTサンドで、食パンは軽くトーストされており温かい。
アイスカフェラテに小瓶のガムシロップを入れてストローで混ぜると、氷がカラカラと涼やかな音を鳴らした。


サンドイッチのお皿とカフェラテが空になっても、ノートには一文字も書けなかった。なかなか上手くいかないものだ。

ふと、誰かに見られている気がした。
確かではないかもしれないけれど、視線を感じるような気がする。
加奈子は、喫茶店の店内をゆっくり見回す。いや、多分店内からではない。外だ。
窓際の席に座っているので、見ようと思えば外から加奈子の姿は見える。けれどさりげなく硝子越しに外に目を走らせてみるも、それらしき人物は見当たらない。
「気のせい、なのかな」
けれど、何だか肌がざわざわする。
もう小説を考えるどころでは無かった。集中力が切れてしまった加奈子はテーブルに広げていたノート類を鞄にしまい、カウンターのレジで代金を払って店を出た。

外はムンとした灼熱で、相変わらず蝉達も騒がしかった。
視線を感じるような、感じないような。だけどやっぱりざわざわする。まだ太陽は強く明るいというのに、加奈子は正体不明の気配に怖くなってきた。外気は熱いのに、何だか背中がぞわりと寒い。早く家に帰りたくて、早足で帰途につく。
「そうだ、こういう時のおまじないがあった。確か……」
加奈子の脳裏に、今の今まで忘れていた記憶が蘇る。
「シャブリリ、ブリリ、リリ、イリリ」
ずっと前に、親戚の叔母さんから教わったおまじない。この言葉を唱えると、悪いものを追い払えるのだと言っていた。

加奈子は繰り返しそのおまじないの言葉を小さな声で唱えながら歩いた。
暫くの間、視線はいつまでも張り付いてくる気がしていたが、必死に歩いているといつの間にか感じなくなった。


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